ニューシネマに厭戦気分に叩きつけられた直球の人間賛歌「ロッキー」

MOVIE1(映画・ドラマ)

直球の人間ドラマで魅せる映画は数多く、しかし単純に泣かせるという傾向の作品ではなく世の中の不条理もキチンと描きながら力技でカタルシスを経ていく。そんな熱い人間ドラマが見られる歴史的な1作のレビューです。

スタローンの出世作…だけではない本作の意義

ロッキーは、ボクシング映画の決定版。シュワルツネッガーと並び、マッチョな俳優として80年代を代表する2代スタートも言えるシルヴェスタ・スタローンの代表作として、ランボーと並ぶ傑作シリーズとしても名高いです。

しかし、この映画は歴史的な意義やその内容から、ただ1人の俳優をスターダムにのし上げただけではない功績も大きいと思います。個人的にはシリーズも長くつづきましたが、完結編とも言える「ファイナル](6作目)と並んで、現実のシビアさもしっかりと盛り込みながら人生で非常に大事な事をシンプルに伝える力強い人間賛歌の映画であり、極めて「男の子」的な映画でもあると思っています。

ハリウッドでは黄金の50年代60年代と言われるアメリカの産業も世の中も活気づいた時代を経て迎えた70年代は冷戦下での深刻な対立や宇宙開発競争、各地で起こる紛争、黒人から巻き起こった公民権運動、そしてベトナム戦争での敗北など数々の試練や困難に直面する事になりました。

もっともこれは世界的な傾向でもあり、日本でも高度経済成長の波がオイルショックで落ち着くと、公害問題、学生運動などが巻き起こり、繁栄の影で打ち捨てられた価値観や矛盾といま一度向きあう時代へと変化してました。

70年代という時代

挫折する若者にスポットを当てたりアウトローを主軸に備えた「太陽にほえろ」や「あしたのジョー」などはそんな当時の自制を踏まえて生まれてきた作品でもあったのですね。

アメリカのハリウッドでも特にベトナム戦争への厭戦気分から、次第に分かりやすい筋書きやヒーローが活躍する物語から、挫折する若者やアウトローにスポットを当てた映画が当たる様になり、それら一連の作品を指して「アメリカン・ニューシネマ」と言われるようになりました。

それらの多くは銀行強盗(俺たちに明日はない)や社会のはみ出し者(真夜中のカーボーイ)、戦争帰りでPTSDを伴っているもの(タクシードライバー)など様々でした。それらの多くはラスト、主人公たちの死によって物語が閉じられていく流れが半ばお約束ともなっていました。

地に足の着いたドラマ

本作もまたしがない場末のボクサーロッキーが、降って湧いた全米チャンピオンとの戦いに奮起するという流れこそヒーローを思わせますが、金が足りず借金取りの用心棒までこなすボクサーとしては年季が入りだしているロッキー。これはまさにアメリカンニューシネマの流れそのものです。

舞台となるフィラデルフィアの下町も非常に貧しい様子が伺え、老トレーナーとなるミッキー、恋人となるエイドリアン、その兄であり親友であるポーリーもどこか暗く、世の中にうんざりしているような状態から始まるのです。これが非常にリアルなんですね。

分かりやすい協力者も、チャンピオンに対して挑戦権を経ても明るさの見えてこないドラマ。しかしここでロッキーが奮起していく流れから周りのキャラたちの考えも徐々に変わっていくのです。しかし、アメリカンニューシネマの匂いが濃い本作はどこかロッキーに死の匂いも感じてしまうのです。

ところが、本作では試合の結末は伏せるとして…ともかくロッキーの死は描かれません。厭戦気分が立ち込めた暗く閉塞感のある当時のムードに強烈なドラマの一撃を浴びせたからこそ、そして主演であるスタローンもほぼロッキーと同じ境遇であったことも、ドラマの感動をより高めているのです。

本作は同じくマフィアというアウトローを主役にしながらも重厚で豪華な大河ドラマとの融合でニューシネマ的なストーリーと決別したと言われるゴッドファーザーと並び、次の時代への橋渡しも担った作品になったのではないかと思っています。

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