古き良き日本の恐怖演出が満載。豪華出演陣で放たれた「八つ墓村(1977年版)」

映像(アニメ・映画)


アナログ時代の邦画を代表する横溝ブームに乗っ取った情念ホラー


萩原健一、渥美清はじめ、古き良き時代の名画俳優に昭和を思わせる情緒。そして伝統的な日本の古くから言い伝えられている(江戸時代の見世物小屋から延々とつづいてきたような)怪談のエッセンスが混ぜ合わせられた、アナログ時代の怪奇映画の一つの見本市のような形になっている映画…それが本作、1977年に制作された「八つ墓村」です。


例えばリングが(いまとなってはアナログの1つですが)ビデオによる呪いの伝播、都市伝説的な拡散など、平成的な恐怖のエッセンスが散りばめられていたのに対して本作が描いたのは昭和中期頃までの伝統的なアナログ時代の和風ホラーエッセンスの集大成とも言えます。


もともとは怪奇要素はエッセンス程度で筋書きは合理的な推理小説でもある横溝正史による金田一耕助シリーズ。また当時は金田一作品の映画としては角川が大々的にバックアップし、市川崑・石坂浩二のタッグによる犬神家のほうが先に後悔されており、いわゆる金田一のイメージは既に固まっていました。

社会派サスペンスと和製ホラーの狭間で

本作も70年代を代表する松本清張の原作を基にしたサスペンス名画「砂の器」の橋本忍&山田洋次脚本、野村芳太郎監督という松竹の豪華メンバーによる渾身の作品でしたが公開当時は一大ブームを生みながらも、やや際物に見られてしまった感もあるようです。


しかし、日本の田舎に感じる郷愁と情緒、それと相半ばする排他性や閉鎖性、人間の怨念どちらも包み隠さず描写されており、懐かしさと恐ろしさの対比が見事。もともと野村芳太郎監督は、砂の器ではライ病で日本を彷徨う親子を鬼畜では児童虐待を、震える舌では破傷風に蝕まれる子供とその親子の壮絶な闘病記を描くいわゆる社会の暗部を切り取った社会派映画の側面が強いのですが、どれもそこはかとないトラウマ描写やモノによっては、ホラーまがいの演出も混ざってくる(特に震える舌)のですが本作はまさに社会派の面はやや薄れ、ホラーの描写にかなり寄った作品になっています。


それを中和させるのが昭和的な人情の代表格とも言える渥美清。排他や情念に彩られた閉鎖的な村落社会の恐怖の物語の筋書き、それを解き明かしていくのが、それとは別の一面でもある古き良き情緒や郷愁をイメージさせる俳優の渥美清が演じる金田一であるという対比の構成も見事だと思います。


演者もスケールも破格。恐ろしさと同時に日本の美しさや昭和の名残も描くスケール的にも大作映画に恥じない内容に収まっています。クライマックスの家屋消失や節目節目で訪れ、クライマックスに繋がる洞窟のシーンなど。特に洞窟のシーンはセットも含めて、相当の制作費が投じられたとか。。


また山崎努演じる多治見重蔵の惨殺シーンは恐ろしさと同時に美しさまで感じる本作を象徴する圧巻のシーン。実在の事件を基にしていますが、桜吹雪の舞う中を鉢巻きに蝋燭、猟銃に日本刀をかざし白塗りの無表情で淡々と殺害を行う描写は、かの貞子や加耶子と並ぶ、和製ホラーキャラクターを思わせる風格。

昭和の残り香を感じさせる一面も


一方で本来は昭和20年を舞台にしていた作品を公開当時の70年代とし、主人公は航空会社という現代的な社会に身を投じる設定。これは当時の社会情勢の中で、まだ享楽的な80年代に入る前夜。戦後を代表する団塊世代が学生運動の後の「自分探し」に彷徨っていた時代。傷だらけの天使や太陽にほえろで当時の「若者」を代表する存在だったショーケンを主人公に当て、そのルーツとして近代~中世を思わせる村落社会と旧家の大家を登場させるギャップはどこか、戦後の節目を感じさせるところでもあります。


60~70年代のテレビや劇場でお馴染みのキャストが延々と登場する本作は本当の意味での「昭和」的なものの残り香が最後に漂っていた時期の名残も思わせるのですね。ショーケンは最終的にルーツである故郷を去り、都会に戻る。同様に地域社会は徐々に廃れていき、その後に続くのはバブル前夜の享楽的で、戦後日本において飛びぬけて都会的な匂いのする80年代という時代なのでした。

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